理性とは rational nature 2003 5 24

 人間が生きるうえで、身につけるべきものがあります。
それは、感性、理性、知性というものです。
しかし、この3つをバランスよく身につけるのは、難しいのです。
 たとえば、感性というものをとってみると、
一般的に女性は感性は強いが、理性というものが弱いものです。
それは、なぜかと言えば、こういうことです。
 今は昔、戦争が多かった時代に、こんなことがありました。
ある潜水艦は、深海の戦場にて、運悪く、敵の潜水艦と接触して、
潜水艦の前部である頭部が損傷しました。
 このまま何もしなければ、潜水艦は沈んでしまいます。
そうなれば、200名の乗員は海の底に沈みます。
大至急、潜水艦の頭部を閉鎖すべき状況になったのです。
しかし、その頭部にはまだ、乗員が数名残っていました。
しかし、一刻の猶予もありませんでした。
 艦長は、直ちに頭部の区画の閉鎖を命じました。
結局、数名の犠牲者と、200名に近い乗員の救命という結果となりました。
乗員はすべて軍人でしたから、艦長の決断には異を唱えませんでした。
もちろん、艦長は、陸に上がって、遺族からは殺人者扱いをされました。
 しかし、艦長の決断は正しかったのです。
善か悪かと言えば、善だったのです。
あのまま、艦長が迷っていれば、200名全員が海の底に沈んだのです。
 これが理性のひとつなのです。厳しいでしょう。
しかし、これがないと、指導者というものは務まらないのです。
 理性とは、善悪を峻別する力ですが、
時代によっては、場所によっては、何が善で、何が悪か、
その判断が困難な時があります。
しかし、決断しなければならないのです。
 それは、きれいな決断とは限らない。
悲しい決断、
まるで自らの足を自らの剣で切断するかのような厳しい決断もあります。
 子供を生み、育てるという本能がある女性には、
結果的には、人を殺すことになる決断は受け入れないでしょう。
しかし、時には、指導者には、このような決断の機会が迫ってくるのです。
 艦長の決断を例に出しましたが、これは政治家のことを言っているのです。
政治家は、どのような決断をしても、必ず、少なからず、国民に恨まれます。
場合によっては、そういう人たちによって、テロで殺されることもあります。
しかし、それは政治家の宿命なのです。
そのようなことに怯む政治家は、直ちに職を辞すべきです。
このような政治家の存在は、国民にとっては不幸な存在です。
 しかし、理性ばかり強くては、冷たい社会となってしまいます。
感性を大切にしながら、理性を発揮していく。
それには、知性というものが大事です。知性がこの舵取りをするのです。
この知性というものを磨く必要があるのです。
 政治家というものは、感性、理性、知性というものが、すべて必要です。
しかし、若くして政治家になった場合、この3つをすべて身につけてはいません。
人生経験が深ければ、この3つを経験で補えます。
 しかし、人生は短い。しかも、人間というものは、活躍できる期間は、さらに短い。
のんびりと人生経験をしているうちに、時は過ぎていく。 
それゆえ、政治家の学校というものが必要です。
今後は、政治学校というものを整備していく必要があります。
その政治学校の卒業資格をもって、立候補の条件とすべきです。

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